Biography
「2016年記」
「衝動買いの山之郷に、築窯しました。」
何故か買ってしまった、築40数年の木造二階建の家。庭の土作りから始めて、利休梅や蝋梅、
ぼけ、金木犀、沈丁花、大手毬、山吹、紫式部、南天、千両、紫陽花、百合、ジキタリス、シャガ、
紫蘭、ミントやハーブが咲く庭に育ちつつあります。
庭の隅に陶芸窯を、そして一階の床の間のある和室を洋間に作り変えてアトリエに設えました。
仕事でないから、作りたいものを作りたいように、作りたいだけ気の向くままに作り続ける。
イメージしているものには、ほど遠いものばかりだけれど、そして困難なことばかりだけれど、
人生の終わりの始まりに、時間すら忘れてしまうことを始めています。
今は、どうしょうもなく織部です。織部焼の緑釉の深い緑と鉄下絵の黒と、陶土のさまざまな
色とのコントラストに心を奪われ、そしてその自由奔放な大胆さと、独創的な美しさや力強さに
魅せられています。ということで織部が中心の作陶になってしまっています。
「丁寧に生きる」こと。
クリスチャンの友人からもらった、大切なキーワード。「心を込めて丁寧に生きる」。
ある時この方から、「私は大病をして今も病弱で、普通の健康な人と同じように生きることが
出来ないので、全てがゆっくりなんです。でもゆっくりだから、丁寧に心を込めて生きることが
できるんだとも思っています。」
“今、貴方は心を込めて丁寧に生きていますか“と問われたように感じたものでした。
“僕は人生を丁寧に生きて来ただろうか……。“
長い間、売上至上主義のような仕事の仕方をし、仕事に追われ時間に追われ、絶えず前のめりで生き急いでいるのか死に急いでいるのか、分からないような仕事人間でした。儲かっているのは、世の中に役立っているのだとばかりに、不遜で生意気な嫌な人間の嫌な生き方をしていて、一瞬後ろめたい思いをしてしまったのでした。
「心を込めて丁寧に生きる」ということは、「自分の人生と命を大切にすること」と「他の人の人生も命も大切にできる生き方をする」ことでしょうか。
この日、生き方の質を変えたいとおもったのでした。